世の中にはごまんと人がいて
同じようにその数だけの感情が溢れている
大事にしたい思い、捨ててしまいたい思い
それぞれの感情が交差する面倒くさい世の中から
人間は生まれた瞬間から逃げられやしないのだ、絶対に






 来
  航
   路






「ごめんなさい、わたし他にすきな人がいるから」

学校の帰り道、同じクラスの男子に呼び止められ告白された。「他にすきな人がいる」なんて、ありきたりな断わり方だと思う。すきな人がいてもいなくても、こう言えば言われた方はたいてい引き下がらざるを得ないだろう。目の前の彼も、わたしの言葉に少し悲しそうな顔になった。それだけでチクリと胸が痛む。決して彼のことが嫌いなわけじゃない。だけど、こうして告白されても、わたしの頭に浮かぶのは赤い髪の彼。

「―そっか。それじゃ仕方ない、か」
「ごめん」
「ところでさ、のすきな人って丸井?」

突然そう言われ、思わず目を見開いた。
彼はわたしの表情を見てか、「あ、別に探ってるわけじゃなくて」と少し焦ったようにつけたす。

「気悪くしたなら謝るよ、ごめん」
「ううん。でも、どうしてそう思うの?」
「んー男の勘てやつ?いや、多分俺がのこと見てたからだと思うけど」
「・・・・・・」
のこと追っかけてると、たいてい丸井が視界に入るんだよ。だから、そうなのかなって」
「・・・そっか」

彼は気付いていたんだ。わたしが誰にも話していないこの気持ちに。伝わればいいと思いながらも、拒まれるのがこわくて、それならいっそ伝わらなくてもいいと、ずっと閉じ込め続けているこの気持ちに。丸井はずっと変わらない。わたしのことを特別なんて意識することもなく、当り障りのない話をしていつも笑っているように思う。それでも、ほんのちょっぴりでも、何か届いていたりするんだろうか?

少し考え込んでしまったわたしに何かを感じたのかはわからないが、目の前の彼は「じゃ、これからもまたいつも通りで頼むな」と言い残して去って行った。その言い方は、まるでわたしが彼を振ることがわかっていたかのような、そんな優しい口調だった。




彼の背中を見送ってから、校門を出て街路樹の並ぶ道を歩く。ぼんやりと、さっき起こったことと丸井のこととを交互に考える。けれど、思考はろくに働いてはくれなくて、すべてが泡のように浮かんでは消えていった。

すると突然脳内にキッとブレーキの音が響いた。音のした方へ目をやると、まず目に入ったのは自転車の前輪とハンドルを握る腕。そしてそこから見えるリストバンド。見慣れたその腕とリストバンドだけで誰だかわかってしまう。それは今まさにわたしの思考の半分を占めていた赤髪の彼。

「お、やっぱだった」
「・・・丸井」
「ん?お前なんかあった?随分浮かない顔してんぞ」

丸井はわたしの歩調に合わせて減速しながら、怪訝そうな顔でそう尋ねた。

「・・・うん。あのね、さっき告白されたの」
「・・・・・・え」

キッ、と自転車が止まる。わたしも歩くのを止めて、丸井を見た。少し、驚いた顔をしているように見える。
そりゃそうか、会ってすぐこんな話されたら。

「・・・・・・それでね、断わっちゃった」

足元へ視線を落とすと、気配で丸井が自転車を降りたのがわかった。自転車を引いて近づいてくる音。そして視界に丸井の足元が映る。ゆっくりと顔を上げると思ったよりも近くに丸井の顔があって、思わずまた下を向いてしまった。そのわずかなわたしたちの間を風が抜けると、丸井のだろうか、ふっと制汗剤か何かのさわやかな匂いが鼻をかすめた。

「・・・・・・で、は後悔してんの?」
「・・・してない」
「じゃあ何でそんな顔してんだよ」
「・・・わかんない」
「わかんねーの?」
「・・・・・・うん。ただ・・・、」
「ただ?」
「すごくいい人を傷つけちゃったのかな、って」
「なら付き合えば良かったじゃん」
「でもそれはできない・・・から複雑なんだと思う」

いい人と付き合いたいと思える人とは違う。手を繋ぎたい、ふたりでどこかへ行きたい、ずっと一緒にいたい。そう思える人が、本当にすきな人なんだと思う。告白してくれた彼はすごくいいひとで、付き合ったらきっとわたしを大切にしてくれるだろう。そんな風に思えたけれど、その先が何も思い描けなかった。楽しい未来が見えないところにわたしはどうしても飛び込んで行けなかった。それはもちろん彼が悪いわけではなく、ただわたしがこれ以上ないくらい丸井のことがすきだからなんだと思う。

「・・・ってさ、他にすきなヤツでもいんの?」

ゆっくりと自転車を引きながら1歩踏み出した丸井がそうわたしに問うた。
わたしはその斜め後ろをついていくように小さな歩幅でゆっくり歩き出す。

「うん、いるよ(目の前に)」
「・・・それって、俺の知ってるヤツ?」
「うん(丸井だよ)」
「同じクラス?」
「うん(丸井なんだよ)」
「すげーすき?」
「うん(なんて伝えていいかわからないくらい、すきだよ)」
「そいつにはもう告ったりした?」
「してない(できないんだよ)」
「なんで?」
「・・・・・・なんでも(言えるわけない)」
「なんだそれ。理由になってねっつの」
「・・・・・・そんなこと、いいじゃん。ところで、さ。丸井はすきなひといないの?」
「俺?いるよ」
「・・・そう、なんだ」
「そう、ってそれだけかよ」
「他に何聞けばいいの?(なにも、聞けないよ)」
「誰、とか、どのくらいすきなの、とか」
「・・・聞いてほしいんだ?(わたしは聞きたくないのに)」
「つかさ、は俺のそーいうことに興味ねえの?」

そう言われて、ぐっと唇をかみ締める。興味ないわけない。丸井のことなら何でも知りたい。けれど、他の女の子の話をする丸井のことは知りたくない。知らなくていい。それでも願ってしまう。ただのクラスメイトで終わりたくない、と。
だけど、肝心の一歩が踏み出せない。ただのクラスメイト以下になるのだけは絶対にいやだから。今繋がっている糸を断ち切りたくないから。

「・・・・・・なんでそういうこと、言うかなぁ・・・」

絞りだしたような声は、自分でも震えているのがわかった。マズイ、と思ったときにはもう遅くて。丸井は立ち止まってわたしを見ていた。やだ、こんなぐちゃぐちゃな気持ちのわたしを見ないで。

?」
「・・・・・・ごめん。なんでもない」
「なんでもなくないだろ」
「いいの、ちょっと放っておいて」

そう言って、わたしは立ち止まっていた丸井を追い越して少し早足で歩いた。きっと丸井は怒ってるだろう。今のわたしの態度に。自分でも好き勝手ひどいこと言っているのはわかってる。でも今口を開いたら、自分でもなにを言ってしまうかわからなかった。考えなしに言って、そしてきっとそれに対する丸井の言葉に後悔するんだ。言わなきゃよかったって。

(・・・ちがう。わたしが一番恐れているのは、自分が傷つくことだ)

本当は一番いいたいことなんてずっと前から決まっているのに。
すき、のたった一言。いっそ吐き出してしまえたら。



醜い心を持った自分から逃げるように歩くわたしの隣に、シャッと自転車の気配。
早足のわたしに合わせてぴたりと隣に並んで走るのは、顔を上げなくても誰だかわかる。

「あんさ、俺もすきなやつに告ってないんだけど」
(聞きたくないって言ってるのに・・・)
「なんかそいつ鈍いみたいで気付いてくんないわけよ」
(丸井だってわたしの思いに気付いてないじゃない・・・)
「で、多分俺も鈍いって思われてんだろーけど、俺は敢えてそうしてんのな」
(・・・意味がわからない)
「しかもいきなり告白されたとか言い出すしさ。焦るっつーのな」

(・・・・・・え?)

今彼はなんて言った?
今の言葉が聞こえてきた通りなら、それは、たぶん。
驚いてまた立ち止まるわたしに気付き、ほぼ同時に丸井も止まる。

「・・・あ、え・・・あの、丸井、い、いまのって・・・」

言いかけると丸井がわたしの口元に手をかざした。

「ストップ」
「・・・?」
「お前今日くらいは喪に服せ」
「え、誰も何も死んでないけど」
「細かいことはいいから」

そう言って丸井の真剣な目がわたしをとらえる。

「とにかく。お前明日までフリーでいろよ」
「は?」
「つーことだ。じゃ、また明日な」

そう言うと丸井はわたしの肩をぽんと軽く叩き、そのまま振り返ることもなく自転車を走らせて行ってしまった。
ぽかん、とするわたしの視界には、リストバンドをつけた彼が立ちこぎしながら遠ざかっていく姿。

(・・・もしかして、もしかしなくても)

少し巻き戻しをして、冷静に考える。
わたしの肩を叩きながらもすぐにそっぽを向いてしまった丸井の耳がちょっと赤かったのは、
わたしの見間違いじゃないのかもしれない。

フリーでいろよ、と言い、また明日な、と告げらた丸井とわたしの明日がどうなるのか。
そんなことは誰にもわからないし、なんの保証もない。それでも、この予感だけは信じたい。



明日なんてほんの小さな未来かもしれないけれど、
そんな小さな未来でも、君といられるのならそれだけでしあわせだと思えてしまうから。
だから、これからの未来を、ふたりで大きく描いていきたいと、そう願ってしまう。


そう、これがきっと、未来航路のスタートライン。










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わたし的にブンちゃんはニブい派ですが、
たまには、ちゃんと気付いてる彼なんていかがでしょ?
ただしすっごい優しいヤツだということは常に変わらず!

2008/3/18 なつめ



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