体中の水分を奪い取られるくらいのかんかん照りの日。
わたしは教室の日の当たらない廊下側の席で泣いた。
体中の水分がなくなるんじゃないかってくらい、泣いた。
「わたし今度吉田くんに告白する」
わたしがそう言ったのは夏休みに入る前のことだった。
これを聞いた丸井は読んでいたテニス雑誌から目を離し、その目を丸くした。
「マジで?」
「うん、そう。マジで」
「やめとけって」
「なんで?」
「なんでも」
「えーだってやっと言う決心がついたんだよ?」
「でも、やめとけ」
そう言って丸井はまた雑誌に目を戻してしまった。
さっきはあんなに目を丸くしていたのに、さも興味なさそうに。
丸井はわたしと、わたしの好きな吉田くんと高校に入ってからずっと同じクラスだ。
そしてなおかつわたしの恋心を知っている唯一の人物でもある。
(それは去年わたしがうっかり口走ってしまったときに、ごまかしきれなかったせい。)
でも、それから丸井は何度もわたしと彼の間に入って仲を取り持とうとしてくれた。
おかげで今では彼と、学校で話すことは元より、メールに電話さえも出来るような仲になっている。
だからわたしは丸井に感謝していたし、そんな丸井ならきっと応援してくれると思っていた。
――なのに、やめとけなんて。
わたしの気持ちも知らず、雑誌を読みながらも丸井は「やめとけよ」と言っている。
そんな様子に腹の立ったわたしは、「丸井のバカ」と言って教室を出た。
そして、8月の日差しの強い夏の日。
高校に入ってから2年ちょっと片思いし続けて、誰よりも仲良くなったと信じていた彼に告白した。
部室棟の裏の、きっと誰にも気づかれないであろう木陰の中。
初めて男の子を呼び出して、そして初めて口にした「すき」という言葉。
きっと笑いながら「俺も」と言ってくれると思っていた。
けれどわたしの言葉を聞いた彼の表情は明らかに困っていて。
まさか、と思った矢先の言葉だった。
「ごめん、実は中学から付き合ってる子がいて」
かなしくて、でもそれ以上に自分がバカらしくて、涙がこぼれた。
(なんで、気付かなかったんだろ。彼女がいることに)
思い出したくないのに、気持ちとは裏腹に今までの自分が思い浮かんでくる。
彼に笑顔で話しかける自分。メールの返信に一喜一憂する自分。
バカみたい。何度拭っても涙が頬を伝った。
零れ落ちる涙を誰にも見られないよう、わたしは足早に校舎の中を歩いた。
夏休み中は普段夏期講習があるのだけど、運がいいのか今日は講習が休みの日だった。
わたしは強い日差しの差し込む廊下をうつむきながら歩く。
見つけた泣き場所は自分のクラスだった。
開け放たれたドアから教室に入ると、ゆらゆらと揺れるカーテンが目に入った。
そのおかげか、真夏の教室特有のむあっとした暑さは感じられない。
誰もいない空間。
それに気が緩んでか、目の前が一気にぼやけた。
ガタガタと机にぶつかりながらも、適当に椅子を引いて乱暴に座る。
そのまま、机に突っ伏して泣いた。
こらえていた嗚咽が、止まらなかった。
しばらく、と言っても恐らくわたしが教室に来て5分も経っていない―が、誰かが駆ける音が聞こえてきた。
(ああ、どうかこのクラスに来ませんように)
そう願ったけれど―願えば願うほどその逆のことが起こると言うように―足音もどんどん近づいてくる。
その音が止んだときには、すぐそこ―教室の入り口付近に、誰かの息遣いを感じた。
(おねがい、ほうっておいて。おねがい)
わたしは反応する気も起きず、机に突っ伏したままでいた。
どうしたの?と声をかけられて、話したり、同情されたり、そんなこと、されたくなかった。
こんな姿、誰にも見られたくなかった。
すると、教室内に静かに足音が響き――そしてそれは静かに私の後ろまで来て、止まった。
びくっと体に力が入った瞬間、頭に感じたのは温かい重み。
そしてそれはそのままわたしの頭を優しくなでる。
「お前は何にもわるくねえから」
静かに発されたその声には、聞き覚えがあって。
まさかと思っておそるおそる顔を上げると、ぼやける視界の中に見慣れた人物が立っていた。
「ま・・・るい?」
名前を呼んだ後にも次から次へと涙が零れてきて、丸井の姿がさらに見えなくなった。
頭の上の手は、そのままわたしをやさしくなでる。
ただ――最初に見た丸井の顔が、せつなそうにゆがんだように見えたのは気のせいだろうか。
「丸井ぃ・・・わたし、わたしっ、ふられちゃったよぉ・・・っ」
「言うな」
いつもと違う丸井の声だった。
いつもふざけ合っているときとは違う、真剣な、それでいてどこかつらそうな声。
「わ・・・たしっ、あ、あたまの中では、もう付き合えるんだとおもっててっ・・・」
「もう、いいから」
丸井の手が、わたしの頭の上から頬に下りてきて親指で涙を拭いてくれる。
その指すらも優しく感じて、さらに涙が出てしまった。
「また泣く」
「だ・・・って、丸井がやさしいんだもん・・・」
丸井の指が止まる。目を開くと、目の前に丸井の顔があった。つらそうな顔だった。
そしてその口から発せられたのは「ごめんな」のひとこと。
「どうして丸井があやまるの・・・?」
「・・・俺、やさしくなんかねえよ」
一度口をつぐんで、丸井は再び口を開いた。
「俺、知ってたんだ。あいつに彼女がいんの」
「・・・え?」
「今年入ってから、あいつが女の子と歩いてんの見て、それで問い詰めたら・・・」
丸井は最後の方の言葉を濁した。
「俺、あいつが許せなくて。彼女いんのににもいい顔してんのが許せなくて。何度もに言おうとしたんだ」
丸井の顔が、泣きそうにゆがむ。
「でも、のうれしそうな顔見てたらそんなの言えなくて・・・それで結局つらい思いさせて・・・ごめん」
そう言って、丸井はわたしの顔から手を離した。
「こんな時に言う言葉じゃねえっつのはわかってるけど、でも俺、のこと大事に思ってるから、だから・・・」
丸井の言葉が途切れる。
「ま・・・るい・・・?」
「ホント、ワリっ・・・」
そう言った丸井の目から、一粒の涙が零れたのをわたしは見た。
丸井はすぐに顔を逸らしてしまったから一瞬のことだったけれど。
「まるい、」
瞬間的に、わたしは丸井の左手を握った。
ピクッと丸井の体が揺れる。
「ごめん。わたしのせいでつらい思いさせて・・・ごめん」
「だから、が謝るとこじゃねえって・・・全部俺が、」
「わたし、自分のことばっかりで・・・丸井が抱えてたこと、ぜんぜん気付けなかった」
「・・・・・・バカ、だからそんなのいっ・・・」
「丸井、ありがとう」
涙でぐちゃぐちゃな顔だったけど、精一杯の笑顔を丸井に向けた。
そんなわたしを見てか、丸井も精一杯の笑顔で返してくれた。
握っていた丸井の手がわたしの手を強く握り返す。
それだけで、十分だった。
繋いだ手の、ぬくもりだけで。
|