黄瀬くんとの電話が切れてから30分くらい経った頃だろうか。電気もつけず玄関先に座っていたわたしの耳に、アパートの階段を駆け上がる音が聞こえてきた。その足音はだんだんと近づいてきて、ぴたりとわたしの家の前で止まる。そうしてすぐに2回、ひとつ間をあけて1回チャイムが鳴らされる。この鳴らし方は黄瀬くん特有のものだ。

わたしはその場に座ったままドアを見つめていた。ドア一枚を隔てたところに黄瀬くんがいる。三ヶ月間ずっと会いたいと思っていた彼がそこにいる。ドアをあけて飛びつけば、きっと彼は笑って優しく抱きしめてくれるだろう。だけど、本当にそうしてしまっていいのかわからなかった。ただの自分のわがままに彼を付き合わせてしまっているのではないかと、そう思ってしまって動けなかった。もう彼はそこにいるというのに。

トントン、と静かにドアがノックされる。返事をしようか迷っている間にもう一度ノックされる。

っち?開けるっスよ?」

その声とともにガチャっとドアノブが回り、ゆっくりとドアが開いた。月明かりを背にして黄瀬くんが顔を覗かせる。

「ギリギリ間に合ったっスー・・・って、わっ!っち、こんなところで何してるんスか?!」

真っ暗な中座りこむわたしにびっくりしながらも、黄瀬くんは中に入ってきて当たり前のようにスイッチのある場所へ手を伸ばした。カチッという音とともに玄関が明るくなり、その瞬間黄瀬くんと目が合う。彼はやっぱりというような顔をしてわたしの目の前にしゃがみこんだ。そうして手を伸ばし、その大きくキレイな手でわたしの頬を包む。

「やっぱり泣いてた」

仕方ないなぁ、というように笑って、黄瀬くんは親指でわたしの目じりをなぞる。
その温かさに安心して、また涙腺が緩む。

「また泣く〜」
「・・・きせくん、ごめんね」
「なんで謝るんスか?」
「だって、今日、ダメにしちゃって、」

言葉を続けるより先に涙が零れた。すると次の瞬間、背中に手をまわされ体ごと抱きしめられる。久しぶりの黄瀬くんの香りが鼻を掠め、懐かしさと嬉しさにまた涙が頬を伝う。

っち、オレなら全然大丈夫っス」
「・・・だって、黄瀬くん忙しいのに。今だって無理させて・・・」
「無理なんてしてないっスよ。・・・無理してんのは、っちじゃん」

背中にまわされている腕にぎゅっと力が込められる。

「オレ、そんな頼りないっスか?」

耳元で呟かれた言葉に驚く。そんなわけない。頼れるからこそ頼りたくなって、でも頼り切って負担になってしまうのが怖くていた。もしかすると、そんなわたしの態度が彼にそう思わせてしまっていたのだろうか。
わたしは首を横に振ってこたえる。

「そんな、そんなわけないよ・・・」
「なら!」

語気を強くした黄瀬くんに体がビクリと跳ねた。それに気付いた黄瀬くんが「ごめん」と呟く。

「・・・オレね、もっとっちに甘えてほしいんスよ。嬉しいとか楽しいとかだけじゃなくて、寂しいとか会いたいとか、そういうの全部我慢しないで言ってほしいって言うか。それともそんなこと思わない?」

黄瀬くんの口から発せられたのは、そんな悲しい言葉だった。その言葉はわたしの胸を締め付けると同時に、黄瀬くんとの距離が遠くなってしまうような、そんな漠然とした不安感をもたらした。たまらず、ぎゅっと彼の体に抱きつく。

「思わないよ。思うわけないよ!もっといっぱい会いたいよ・・・」

彼の胸に顔を押しあて、絞り出すように紡ぐ。
すると、頭上で「良かった」と安心したように呟かれる。そうして頭を擦り寄せられた。

「たまにはさ、オレを困らせてよ」
「今日みたいに?」
「今日は困ったっていうか焦ったっスよ」
「ホントごめ、」
「謝るのはナシ!オレ、ちゃんとわかってるっスから」

寄せられた頭はそのままに、ぽんぽんとあやすように背中を撫でられる。

っちがホントに今日をすっごく楽しみにしてたこと。でも、目の前の困ってるひとを見捨てられなかったこと。全部、全部わかってるっスから」
「・・・うん」
「そういうっちだからすきになったんス」
「・・・うん」
「でも、オレだってやっぱり今日会いたかった。会いたくて会いたくてたまんなかった」
「きせ、く・・・」
「ね、オレっちの笑った顔が見たい」

「笑って?」と、黄瀬くんは口をきゅっと結び、首を傾げた。その様子はどこかおねだりをする小さい子どものようにも見えて、思わずふふっと笑みがこぼれる。

「あ、笑った」
「ちゃんと笑えてる?」
「うん。やっぱりっちは笑ってる方がいいっスよ」

そう言って、黄瀬くんがゆっくりと顔を近付けてきたのを合図に、わたしも瞳を閉じる。ふわっと唇が重なり、ついばむようなキスを何度も何度もされる。 触れるたび、じんわりと胸の中にあったかい感覚が広がっていくのがわかった。唇が離れて行くのを感じゆっくり目を開けると、目の前には眉を下げ困ったような――いや、照れたような表情をした黄瀬くんがいた。

「・・・どうしたの?」
「や、なんて言うか、その」
「うん」
「も、もっとしたいなーって、思っちゃって」
「・・・」
「ダメ・・・?」
「・・・だめ、じゃないよ。わたしも、したい」

言いながら恥ずかしくなって俯くと、途端に苦しいくらいに抱きしめられる。
うーー、と声にならない声が頭の上から聞こえてくる。

「あーもう、っち可愛すぎ」
「きせくん、くるしいよ」
「三ヶ月分だから我慢するっス」
「さっき我慢しないで言ってって言ったじゃない」
「それとこれとは別っス」
「都合いいんだから」

そう言うと「今は都合いい方がっちもいいっしょ?」と、黄瀬くんは笑った。その笑い方はどこか不敵な感じで。やっぱり敵わないなぁと思う。敵うつもりもないけれど。

そのまま黄瀬くんに抱きかかえられ、そうしてまた黄瀬くんによって玄関のスイッチは消された。



弱まることを知らない腕の中で、ふたりの心音はシンクロする。
愛情と安心と充足と。
大切だと言えるものこそ目には見えない。
だけど、確かに感じるその何かにひとは救われる。

その何かを届けられることを願って。
ぎゅっと結ばれた熱のこもる手を、もう一度強く握った。











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黄瀬くんは自信さえ持てれば最強だと思います。

2013/9/29 なつめ



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