a little signal 次の日、朝練を終えてチャイムぎりぎりで教室に着くと、は俯いて自分の席に座っていた。俺はいつも通り、クラスメイトに挨拶しながら席へ向かう。机の脇に鞄を掛け、隣へ視線をやると、が俺の方を見ていた。にこっと笑った顔が、いつもと違ってぎこちない。少し腫れたまぶたに、胸が軋んだ。 「おはよう」 「おう。・・・はよ」 挨拶を交わす。何か言おう、そう思って言葉を探すけど見つからなくて。それは彼女も同じようだった。 そうこうしているうちに1時間目のチャイムが鳴り、それ以上言葉を交わさぬまま現代文の授業を迎えた。 授業が始まってから15分くらい時間が経ち、先生が黒板に解説を書き出したところを見計らって俺は新しいルーズリーフを取り出した。そこにペンを走らせる。 『大丈夫?』と、書いて、消した。大丈夫、なわけない。 そして次に思いついた言葉を書き、四つ折にして隣の机にそっと置いた。は驚いたようだったが、先生の様子を窺いながら紙を開いた。手紙を読むの様子を、バレないように横目で見る。一瞬、口元が笑ったように見え、俺は心の中で小さくガッツポーズをとる。 程なくして、から手紙が返ってきた。 俺の汚い字の下に、の綺麗な字が並んでいる。そんな些細なことが何だかうれしい。 『 へ ケーキありがとう。すっげーウマかった!マジで。 もう全部食っちゃったし。ケーキ作んのとか得意なの? 丸井 』 『 丸井くんへ 全部食べてくれたの?ケーキ、大丈夫だった・・・? ごめんね、昨日あんなことになっちゃって。 そして、助けてくれてありがとう。 ケーキ、おいしいって言ってもらえてすごくうれしい。 お菓子作りは得意っていうか好きだよ。趣味みたいなものかな。 』 よーし、ここからテストに出るかもしれないから良く聞いとけよーと、先生の声が教室に響く。顔を上げると、黒板には既に解説がいくつも並んでいた。クラスメイトたちが、必死にノートを取っている。俺は、手元のルーズリーフに並ぶ字を見る。俺の字の隣にの字。そして、教室でも俺の隣にの席。じわじわと確かになっていくこの気持ち。俺は、次のテストよりも大事なことを見つけた。 『 引き続き、へ 気にしなくていいって! ケーキはお世辞抜きで超ウマかった! それで、俺から1つお願い。 良かったら、また作ってきてくんない? 丸井 』 手紙はまたの手元へ。 返事はすぐにきた。 俺を喜ばす言葉を並べて。 『 引き続き、丸井くんへ 本当?うれしいな。 あんなのでいいなら、喜んで! もしリクエストがあったら、教えてね。 』 そして、俺は今日考えてきた最後の言葉をルーズリーフに綴った。 『 またまた、へ ていうかさ、これからずっと作ってきてくんない? ・・・できれば、俺のために。 いや、できれば、じゃなくて絶対、がいいと思ってる。 ダメ、かな? 丸井 』 書いた紙を折り目に沿って四つ折りにする。正面を向き、一度深呼吸してから、その手紙を隣へそっと置いた。さっきまでの要領で紙を開いた彼女は、手紙を両手に持って固まった。きっと、リクエストが書いてあると思っていたんだろう。 (そりゃ、驚く、よな・・・) さすがに、早かったかと柄にもなく不安になる。今まで普通のクラスメイトとして接していた。そして昨日のあの出来事があっての今日。急ってモンじゃない。けど、知ってしまった。のあんな一面。普段見ていた穏やかな部分だけじゃない、強さや弱さを。守りたいと思った。生まれて初めて、家族以外の誰かを。 しばらく停止していたは、ハッとしたようにペンを持った。その瞬間、腕に消しゴムがぶつかって、勢いよく俺の足元に転がってきた。拾って顔を上げると、彼女は真っ赤な顔をしてこっちを見ていた。おまけに、口も変な形に結んで。その顔がおかしくて、思わず笑う。そうしたら、彼女も恥ずかしそうに笑った。 「はい」 「また、ごめん」 「気にすんなって。ほら、二度あることは三度ある」 「明日はしないもん」 「期待しないでおく」 冗談交じりで話せたことに、お互い安堵したのがわかった。丁度、チャイムが鳴り響き、先生が授業終了を告げる。生徒たちは席を立ちあがり、教室は一気に騒がしくなる。俺は消しゴムを渡したその手で、の細い腕を掴んだ。 「えっ、丸井くん・・・?」 「次、サボる」 「ええっ!確かに自習だけど・・・って、えっホントに!?」 抗議の声も聞かず、の手を引いて教室を出た。廊下にいたクラスメイトに「どうした?」と問われる。 「ちょっと次抜けるわ」 そう言うと、そいつは俺の後ろにいたに一度視線をやって、俺に耳打ちした。 「お前、ヘンなことすんなよ」 「しねえよ」 「ならいいんだけど。なんか言われたらうまく言っといてやるから」 「おう。借りは返す」 「学校だってこと忘れんなよ!」 「・・・バ、バカ、当然だ!」 少し動揺した俺は、の腕を引っ張り足早に去ろうとした。後ろで慌てたように「ごめんね」と、がそいつに言う。それじゃ俺が悪いことしてるみたいに聞こえて(いや、実際してんのか)、ちょっと不機嫌になって後ろを振り向く。すると、小さな声で「よろしくね」と言うのが聞こえ、すぐに前に向き直ったと目が合う。俺はなんだかバツが悪くなったけど、それに気付かず彼女が赤い顔をして恥ずかしそうに笑うのを見て、歩調を緩めた。引っ張っていた腕を離して、手を広げて差し出す。は戸惑いながら、その小さな手を重ねてくれた。ぎゅっと、指を絡めて握る。 4階まで校舎を上り、更に屋上への入り口の前まで来て立ち止まる。握っていた手をどちらともなく離し、陽の当たるところにを座らせる。俺もその隣に腰を下ろした。屋上は出入り禁止で、常に施錠されている。だから誰もここに近づく者はいない。静かな空間に、2時間目の授業開始のチャイムが響いた。 「丸井くんって、突然だね」 「ワリ。腕とか引っ張っちまったけど、大丈夫?」 「あ、そこか。うん、大丈夫」 「あれ、違った?」 「いや、それもあるし、ルーズリーフもあるし。うん。いろいろと」 「・・・そうだな、いろいろ、悪い」 「あ、謝らなくていいよ!」 慌てたように、は胸の前で手を広げてそう制した。 「わ、わたしだって、イヤだったらついてこないし、さ」 恥ずかしそうに言う姿を見て、今更ながら自分の心臓がバクバクし始める。話したいこと、言いたいことはあったはずなのに、意識すると何から話していいかわからない。認めたくないけど、自分でも内心焦っているのがわかった。 (今更、ホント今更、ここまでして、ここまで来て、なんで緊張してんだよ、俺・・・) すると、意外にも先に口を開いたのはだった。 「・・・緊張、してる?」 「へ?」 「してる、でしょ」 「・・・おう、悪いか」 「ううん、わたしも緊張してる。一緒」 そうして、いつものようにやんわり笑う。 安心する。いつものままでいいんだって、そう思わせてくれる。 やっぱり、俺が守りたい。そう、思った。 「カッコ悪いな、俺」 「そんなことない」 「そ?」 「いつだって、丸井くんは真っ直ぐで、カッコいい。昨日だって、ヒーローみたいだった」 「大袈裟だって。もっと早く助けてれば良かったのにな、ごめんな」 そっと右手を伸ばし、朝より腫れの引いた瞼へ触れる。はくすぐったそうに、目を細めた。すると、彼女の手が俺の手―彼女の頬に触れている―を取った。思いがけず見つめると、その口から大事に、紡ぐように言葉が発せられた。 「すごいことだと思うの。憧れてた丸井くんが、今、目の前にいる。これって、昨日があったから、だよ。もし、あのケーキと手紙がただ置かれただけだったら、今頃きっと普通に授業受けてた。こんなこと、きっと、起こらない。アイツらは好きじゃないけど、ある意味感謝し・・・っ」 「きっと起こらない、なんて言うな」 堪らなくなって、を抱きしめた。きっと起こらない?そんな寂しいこと言ってほしくなかった。 の存在が俺の中で大きくなった今、そんな“きっと”は俺の中に存在しない。 「たとえそうだったとしても、きっと、こうなってた」 「丸井くん、」 「きっと、絶対、見つけてた。のこと」 「・・・う、うんっ・・・」 「泣くなよ。また目、腫れるぞ」 「うっ・・・だって、我慢できない」 「じゃあ泣け。俺の胸、貸してやる」 「いいの?」 「今日から、お前専用な?」 そう告げると、大きな瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。 細い体を引きよせ、腕の中にぎゅっと閉じ込める。 「俺のために、またケーキ作ってくれる?」 もらっていなかった手紙の返事。 俺の腕の中で、彼女は涙を拭う。深呼吸すると、極上の笑顔を俺に向け、こう言った。 「丸井くんのためだけに、作るよ」 赤くなった瞼に唇を寄せると、くすぐったそうに目を細めるが最高に愛おしかった。 :::epilogue::: 他の人の気持ちを考えて、とか、学校でよく聞く言葉だ。確かに思いやることは大事だと思う。だけど、自分の気持ちだって意外なことで自覚したりする。ましてや、他の人の気持ちなんて。言葉にすると寂しいけど、完全に理解するなんてことはできないように思う。でも、それでいいんだと思う。そんな中で、わかりたいと思う、わかり合おうとする。喜ぶ、笑う、怒る、泣く。間違ったときには、謝る、正す。なんだって、できる。自分次第で、道は変わる。昨日があって、今がある、そして、明日がある。きっと、こうなる?そうなるかもしれない。ならないかもしれない。考えるくらいなら、今、行動に出る。 大切なことは、気付かずにいるだけで周りにいっぱい溢れてる。 ただ、それが当たり前になってしまっていて気付かないだけ。 きっかけ一つで、世界がぐるりと変わる。 俺は、守りたいと思える人を見つけた。そう思える自分を発見した。 それは、偶然か必然か。今となっては、必然としか思えない。 がいないとか、有り得ない。 「丸井くん、おはよー!チーズケーキ作ってきたよ!」 「はよ。おーマジで?昼休み一緒に食おうぜ」 「・・・」 「どうした?」 「ねえ、丸井くん」 「何だよ?」 「あたしのことすき?」 「な、何だよ急に。いいだろ今そんなこと」 「えー良くない!だって言ってくれてないじゃん。ちゃんと教えてほしい」 「お前だって言ってねえだろ」 「すき」 「は・・・?」 「すき、だいすき、離れたくない」 「ちょ、お前、黙れ・・・!ここ校庭だっての」 「誰も聞いてないよ。だって今言いたいんだもん」 「ってそんなキャラだったっけ?」 「丸井くんと一緒にいるようになったら、特異体質になったみたいで」 「ふーん」 「なんで笑うの?なんかバカにされてるみたいでかなしい」 「俺のこと嫌いになった?」 「まさか。きっとない。絶対ない」 「うん、俺もない」 「え?」 「すきだよ。誰よりも、な」 きっとも絶対も。 信じられると思える君に出会えた、俺の最高の誕生日。 ------------------------------------------------------------------ ブンちゃん Happy Birthday !! だいすき! 2005/4/17 → 申し訳ないくらい改編2011/5/8 なつめ << back close |