09.キス







肩に鞄、左手に傘を持って校門へ向かって走る。途中、鞄から携帯電話を出し、赤也の電話番号の上で通話ボタンを押した。想いと比例するように速まる心臓の音。しかしそれとは裏腹に、耳元では無機質な呼びだし音が鳴り響くだけだった。

もしかしたら、出たくないのかもしれない――そう考え、頭を振る。知ってしまった事実、気付いてしまった自分の想い。わたしはもう後戻りなんてできないところにいるんだ、と自分に言い聞かせる。けれど、校門前で立ち止まって何度リダイヤルしてみも電話は一向に繋がらない。赤也の家に行くにしても、わたしは彼の家の場所を知らなかった。

やっと気持ちに気付いたのに、一刻も早く赤也に会いたいのに。
じわ、と目に涙が浮かぶ。
そのとき、握り締めていた携帯が震えた。
瞬時に開くと、1通の受信メール。

『どうかしました?』

たった一文。
でも、わたしにはそれだけで十分だった。

返信のボタンを押し、たった四文字を打つ。

『会いたい』と。



その後返ってきたメールで赤也から指定されたのは、学校からそれほど遠くない小さな公園だった。公園と言っても遊具なんてひとつもなくて、ただ木に囲まれただけの場所。所々にベンチが置いてあるくらいだった。中に入ってぐるりと園内を見渡してみても誰もいないようで、わたしは入り口のあたりに立って赤也を待つことにした。

会いたい気持ちが強いせいか、時間の流れが遅く感じられる。腕時計を見ても、わたしがここに着いてからまだ5分しか経っていない。赤也が現れないことに、ただただ不安だけがつもっていき、そして同時に思考はどんどん冷静になっていった。

『会いたい』と、半ば勢いでそうメールしてしまった。
けれど赤也にとっては迷惑だったんじゃないだろうか?
もしかしたら他に何か大切な用事があったのかもしれない。
そんな時にいきなり何度も電話をされて、会いたいなんて言われて。
赤也は一体どう思っただろう。どうしよう、迷惑がられたらどうしよう。

鞄と傘を持つ手が汗ばむ。胸が苦しい。
赤也にどんな顔して会ったらいいんだろう。最初に何と言えばいいんだろう。

そう思った時、目の前をびゅんと車が通り過ぎていった。
驚いて顔を上げたその先。遠くから駆けてくる姿に、ひゅっと一瞬息が止まった。

どんどんその姿が近くなってくるとともに、胸の鼓動も速くなって。
その人物が待ち焦がれていた人だと確実になったとき、体全体が大きく揺れた。

「・・・すっ、すいません!お、俺、あのっ・・・!」

わたしが言葉を発するより早く、赤也は私の前に来るなりがばっと勢いよく頭を下げ、そう言った。余程急いで来てくれたのか、息は荒く、赤いジャージを着たその肩は大きく揺れていた。

「あ、赤也!あの、と、とにかく、顔上げて・・・?」

わたしの言葉に赤也はゆっくり頭を上げる。その拍子にべろんと赤也の額から何かが半分はがれた。わたしが「え?」と思ったのと同時に、赤也はやばいという表情を見せ、それを素早くはがして手の中に収めた。

「え、えっと、これは、その・・・」
「・・・赤也、まさか、ホントに熱あるの?」
「ホントにって、まさか先輩疑ってたんスか?」
「・・・・・・てっきりわたしと会いたくなくて休んだんだと・・・」
「そんなことあるわけないじゃないっスか」
「だって昨日、」
「だから、昨日のことちゃんと謝りたいって思ってたんです」

「なのに熱出して母ちゃんに寝てろって怒鳴られて。情けないっスよね。まぁもうほとんど下がりましたけど」と、赤也は少し苦い顔をして続けた。その顔が赤いのは、走ってきたからなのか、熱があるからなのか。

(――また、だ。また、赤也はわたしのためにこんなに一生懸命になってくれて―)

赤也のやさしさ。それに知らず知らずのうちに甘えてしまっていたわたし。どうしようもなく自分が情けなく思えて、目にじわりと涙が浮かんだ。きっとわたしひどい顔してる。絶対誰にも見せられないような。それでも、わたしは有りのままのわたしで赤也と向き合いたかった。今にもこぼれそうな涙を指で拭う。

「赤也ぁ・・・ごめんね、ホントわたし自分勝手で、無理させて、ごめん・・・」

―するとその時、目の前の赤也がふっと笑ったような気配がした。

「俺、世界一会いたいって思ってた人に会いたいって言われたんです」

見上げた赤也はやさしい目をしていて。

「そしたら会いに行かないワケないっしょ?」

うれしさで、また涙がこぼれた。







「あのね、わたし赤也のこと弟みたいに思ってたの。だから赤也に告白されたとき、正直どうしようって思った。
一人の男の子として考えなきゃって思っても、できなくて」

公園の隅にあるベンチに移動し、少ししてからわたしは口を開いた。
赤也は黙ってわたしの話をきいている。

「そんな時ね、部室で赤也のあの言葉を聞いて。悲しかったの。わたしのことすきって言ったのにって」
「・・・っ、あれは・・・!」
「でもね、思えばその時既に、赤也のこと、ひとりの男の子・・・ううん、男の人として意識してたんだと思う」

わたしの言葉に、赤也が息を呑んだのがわかった。
そのままわたしは続ける。

「幸村に言われたんだ」
「幸村部長に?」
「赤也がいなくなってもいいのかって」
「・・・・・・そんなことあるワケ、」
「そしたらホントに次の日赤也いないし」
「・・・・・・すいません」
「そしたら、さ。なんか、寂しくって」
「・・・・・・え?」
「なんか、ホントにすっごく寂しくてね」
「・・・・・・せんぱ」
「あーわたしにはいっつも赤也が傍にいてくれたんだなって気付いたの」

隣に座っている赤也の方を向くと、こっちを見ていた赤也と目が合う。彼は何か言いたげな顔をしていた。

「わたしね、赤也が傍にいることが当たり前になってて、それが幸せなことだって気付いてなかった」
「先輩、」
「赤也に隣にいてほしいって、そう思ったの」

もしかしたらこの感情はずっと前からあったのかもしれない。中学から持っていた、弟という意識の延長ににとらわれて、気付くことがなかっただけで。今となっては、もうわからないけれど。

ずっと赤也はわたしのことを見ててくれたのにね。
気付くのが遅くてごめんね。
まだ間に合うよね?
これからでも大丈夫だよね?
どうかこの想い、受け止めてください。

「わたしも赤也のことがすきだよ。ひとりの男の人として」

ごく自然に発せられたすきという言葉。生まれて初めて異性に告げた言葉。不思議とこわいとか不安とかいう思いはなかった。この言葉が今のわたしの何よりの真実だから。赤也ならこの言葉とちゃんと向き合ってくれるってわかっているから。

真っ直ぐに赤也の目を見つめる。すると、彼はぱちぱちと数回瞬きをした。

「・・・ほ、ホントっスか?」
「うん、ホント」
「・・・マジで?」
「うん、マジで」
「お、俺なんかでほんっとにいいんですか?」
「・・・赤也でなきゃいやだって言ったら?」

そう言うと赤也は頭を掻きながら、横にずれるようなかたちで少しずつ私との距離を縮めた。元々そんなに距離のなかった互いの体はすぐにぴったりとくっつく。そろそろと顔を上げるとすぐそばに赤也の顔があって、あまりの近さにわたしはパッと顔をそらす。

「・・・赤也、」
「なんですか?」
「ちょ、ちょっと近すぎない?」
「そーッスか?」
「うん、ちょっと、その」
「先輩、顔上げて?」
「いやだ」
先輩」

頭上から降る優しい声。
だめ、わたし今絶対顔真っ赤。

「ね、先輩」
「・・・・・・恥ずかしくて顔あげられない・・・」

俯きながら小さく呟く。
すると頭にふっと笑う息がかかった

「・・・先輩、耳まで真っ赤」
「・・・・・・うるさい」
「かわいい」

聞こえてきたと同時に横から体に手をまわされ、抱きすくめられる。

「あ、かやっ・・・ちょっ、」

突然のことに焦るわたしになどお構いなしに、赤也はぎゅっと腕に力を入れる。
苦しいよ、そう言おうとしたわたしの耳元に届いた言葉。

「・・・すきです。ホントに、マジで、だいすきです。泣きそうなくらい」

その言葉に心が震えた。まっすぐ心に伝わる赤也の本音。

「うん、わたしもすきだよ。ありがとね、赤也・・・」

赤也にもたれかかって、目をとじる。

いつも傍にいてくれた。
傷つかないように守ってくれていた。
傍にいてくれるだけで笑顔になれた。
ただ笑顔でいてくれるだけで安心できた。
そうさせてくれていたのは君。
それに気付かせてくれたのも君。

突然、わたしの体にまわされていた腕に力が入る。
さっきよりちょっとだけ赤也の姿勢が良くなったような気がする。
もしや。

「・・・先輩」
「・・・・・・やだ」
「まだ何も言ってないっスよ?」
「顔上げてって言うんでしょ」
「さっすが先輩!よくわかったっスね」
「やだ。恥ずかしいもん」
「いいじゃないっスか。俺さっきから先輩の顔見てないんで見たいです」
「・・・・・・顔見るだけ?」
「場合によっては、」
「却下」
「え〜!そりゃないっスよ」
「だから、恥ずかしいんだってば!」
「俺、彼氏ですよね?」
「・・・・・・う、うん」
「じゃあ、何したってオッケーじゃないスか」
「や、でも、ほら、何ていうか、少しずつさ、」
「キスしたい」
「・・・!や、でも今日の今日って、ちょっと早・・・」
「なら、こっちから行くしかないッスね」

抱き締められていた腕が緩められ、「えっ」と思った瞬間には赤也の片手がわたしの顎を捕らえていた。突然のことに反応しきれないわたしはいとも簡単に上を向かせられ、目と鼻の先に赤也の顔を確認する。反射的に顔を引くも、それも赤也の腕の中なので遮られ。額に赤也の髪の毛を感じ、思わずきゅっと目をつぶった。

初めは軽くついばまれるように触れ合い、一度スッと離されてから、深く唇を合わせた。
初めてのキスは、それだけですべてが繋がったような、そんな幸せなキスだった。









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あ、風邪うつったらスイマセン。
でもまぁそれはそれで、なんかうれしいですけどね!
(それにちょっとエッチっぽいし!)

2008/05/23
なつめ



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